新しい論考を2本。
今回のテーマは、新潟市政において繰り返し感じる違和感です。 行政資料や議会記録を読んでいると、「議論は尽くした」「十分に検討した」という言葉が頻繁に現れます。しかし、その先にあるはずの「判断」が、なかなか見えてきません。今回の2本の論考は、この問題を異なる角度から整理したものです。 論考④「新潟市総合計画2030における評価不能性の構造」
ここでは、最上位計画である総合計画が、施策の優先順位を導く仕組みを持っていないという構造を分析しました。 総合計画は理念としては整っています。しかし、評価軸が明示されていないため、施策同士を比較して判断することが制度上難しくなっています。 論考⑤「議論疲労の市政」
議論が判断に結びつかない状態が続くことで、市政全体に「決めないことが合理的になる構造」が生まれていることを整理しました。 議論はある。しかし判断が残らない。この状態が続くと、市民、行政、議会のすべてが「どうせ決まらない」という前提で行動するようになります。 今回の2本は、この二つの構造がどのようにつながっているのかを示す試みでもあります。 人口減少の時代において、都市経営に必要なのはすべてを守ることではなく、選択を引き受けることです。 そのためには、「何を評価するのか」「何を優先するのか」「なぜその判断なのか」を言葉として残す必要があります。今回の論考は、その出発点として書いたものです。 ご意見をいただけましたら幸いです。
2026/03/19